箱崎星梨花と「きまぐれユモレスク」

 MS2の好きな曲語ろうぜシリーズ第二弾。

 今回取り上げたいのは、星梨花の「きまぐれユモレスク」です。

 

 この曲の魅力については、僕が色々変なことを言うより、実際に聞いた方がよっぽど早いでしょう。「悪質」とまで評される程インパクトの強い曲であり、ライブで歌う時はともかく、自分の家でイヤホンを使って聞くと、一種のASMRです。

 ただ、自分の思うにこの曲の魅力は、その「悪質さ」だけに止まりません。

 今回取り上げたいのは『箱崎星梨花のソロ曲』としての「きまぐれユモレスク」なんです。

 

 結構書き散らした感じになりましたがご了承……。

 

1、基本情報

 

 本曲は「M@STER SPARKLE2 09」に収録されており、作詞・作曲にmekakusheさん、編曲にtomgggさんを迎えております。

 mekakusheさんは伊織の新ソロ「ピンクローズアプローズ」から、tomgggさんは本曲からミリオンライブに参戦ということで、新生コンビらしい非常に革命的な曲!

 なお、前回の「泣き空」ではメロディや楽器にも触れました。もちろんこの曲もその辺非常に好みなのですが、趣旨として歌詞考察をしたいためやむを得ずカット。ぜひ実際に聞いて堪能していただければと思います。

 

2、歌詞考察

⑴ユモレスク

 さて、歌詞を考察していくに辺り、まず初めに手を付けたいのはタイトルの「ユモレスク」です。

 歌詞の中にも何回か登場するので、間違いなく曲のテーマに当たる言葉なのでしょうが、僕はこの言葉の意味を知りませんでした。

 で、ggってみたところ、どうも次の二つの意味合いがあるみたいです。

 

①1894年に作曲家ドヴォルザークが製作した曲集『8つのユーモレスク』の通称

②ロマン派音楽の楽種

(どちらもWikipedia参考)

 

 初めは②、つまり曲のジャンルとして「ユーモレスク」が使われていたが、①の曲が非常に有名になった結果、現在「ユーモレスク」と言うと大抵①を意味する……とか何とか。ウィーウィルロッキューみたいな曲が「ロック」って呼ばれるみたいなことですよね、すごい。

 まぁその辺の経緯はともかく、問題は、星梨花ソロでの「ユモレスク」がはたしていずれの意味なのか、というところです。

 結論から言うと、僕は②と捉えました。

 

 捉えましたと大仰に言いましたけれども、実を言うと①の意味合いについては、音楽に全く明るくない自分の調査力に限界がありました。

 もしかすると「きまぐれユモレスク」のメロディなんかで、①の『8つのユーモレスク』を参考にしている箇所があるのかもしれませんが、こればっかりは何ともかんとも。

 

 そういうわけである種消去法的に②を選ぶことになったのですが、ただ消極的な選択でもない、と言わせていただきたいのです。

 というのは、もし「きまぐれユモレスク」が②を採用していた場合、この曲はロマン派音楽をテーマとするような曲になります。

 ロマン派音楽とは何か?

 それは、19世紀ヨーロッパで、啓蒙主義に反発して生まれた、中世のロマネスク美術を理想とする音楽を指します。

 はい、ロマネスクです。「きまぐれユモレスク」の歌詞にも出てきましたね。

 

 このことから、大雑把に次のような関係の成り立っていることが分かります。

 

 

 曲内において、『きまぐれユモレスク』という言葉は「わたし」、つまり星梨花を象徴する言葉であるように描かれます。

 すると上の図式から、星梨花は『ふたりはロマネスク』に憧れる、すなわち恋の成就を願っているということが、音楽史とも関連させて描かれているんですね。

 

 ユモレスクの考察に関しては、めちゃくちゃ美しい!って感じには多分ならないんですけど、ただこういう意図があるんだって知るだけで面白いですし、ジャケットのテーマである「社会」にも関連してるのかな?と色々考えると楽しい部分だと思います。

 

⑵ラスサビ

 ユモレスクでも取り上げた部分ですが、改めてラスサビの歌詞を見てみましょう。

 

  ふたりはロマネスク

  たまらない気持ちになって

  今すぐ会いにきて

  連れ去ってくれてもかまわないよ

  ハートが溶けそうなほど

  熱いこの距離で

  いけないことをしよ

  わたしのこと、ねえ、好きでしょ

 

 フルバージョンが公開され次第、表現されるストーリーの強さに多くの担当が倒れたとか何とか。

 それはともかくとして、このラスサビの歌詞、よく見てみるとちょっと変なんです。

 

 上の8行の形式を元にして話すと、2〜4行目では、「あなた」は「わたし」のところへ来て「わたし」を連れ去る、というストーリー。

 次の5〜7行目では、「わたし」と「あなた」はとても近い距離にいる、というストーリーです。

 ここで、あれ?と僕は思いました。

 細かいところを突くようですが……前の3行では、まだ「わたし」のところに来ていなかった「あなた」が、後の3行になって急接近しています。

 間違いなく、全く別の場面に一瞬にして切り替わっているのです。

 もう少し詳しく考えれば、2〜4行目の場面で「わたし」は「今すぐ会いに来て」と受動的な態度を取る一方で、5~7行目の場面では「いけないことをしよ」と能動的な態度を示しています。この面においても、やはり二つの場面で明らかな対比が組まれていると確信できるでしょう。

 ではこの二つの場面で対比されて表現されているのは何なのか。

 それは当然、「わたし」の二面性であって、この曲で言うところの「良い子」と「悪い子」です。

 

 この「良い子」と「悪い子」の対比は、もう少し別の観点からも読み取れます。1番サビラストで

  良い子じゃないわたしの方が ねぇ、好きなの?

と歌っている一方、ラスサビでは

  わたしのこと、ねぇ、好きでしょ?

となっています。つまり、1番では「良い子」「悪い子」のどちらが好かれているのか気になっていた「わたし」が、ラストではどちらの自分も「あなた」に曝け出し、その両面性を持つ「わたし」自身が好きなんでしょう?と問いかけるのです。

 

 そしてこの「二つの面を持つ自分→二つの面が合わさった自分」という変化の構図は、実は先の音楽史でも似た構造が見られます。

 ロマン派音楽の説明で、これは啓蒙主義に反発して生まれたと述べましたが、実際には啓蒙主義を中心とする古典派音楽の技術を引き継ぐ部分もありました。ロマン主義文学(文学、芸術などのロマン派)との大きな違いはここにあります。つまり、主義はさまざまあれど、そのどちらも音楽という大きな総体の一つなのだから、技術まで否定することはないだろうと。

 星梨花の「良い子・悪い子」も、互いが互いを否定し合うような形で存在していますが、最後には元の星梨花の一部として描かれます。

 こう見ると、歌詞全体を通して星梨花の中の善悪がどう変化していったのか、かなり読み取りやすいのではないでしょうか。

 

3、箱崎星梨花という女の子

 以上のように歌詞の考察が色々できますが、僕がここで一番取り上げたい話題はコレ。

 アイドル箱崎星梨花が「きまぐれユモレスク」を歌うことは、果たして何を意味しているのか?

 

 本曲は当然、箱崎星梨花のために作られた楽曲であり、今まで9年10年の歴史を積み上げてきた彼女に渡すことを想定されています。

 そしてMS2シリーズの他曲に倣うのならば(倣えるならば、という仮定でしかないけど)、星梨花にとって挑戦的な曲であると同時に、本曲を歌うことで星梨花は一歩大きく、次のステージへと進むことができるのです。

 ならば、ここで考えたいのは、そもそも星梨花にとっての夢や目標が何になるか、です。

 

 ここからの話については、あくまで星梨花の担当でない人間が語ることを了承していただければと思います。勿論担当でないからと言って適当なことを言うつもりもありませんが、一応。

 ミリシタにおいては、メモリアルコミュ1で示された「広い世界が見たい」というのが、星梨花の持つ最も大きい夢に当たるでしょう。彼女の各ソロ曲においても、その色合いがよく見られると思います。

 一方でもう少し踏み込んでみれば、広い世界に星梨花が関わっていくためには、彼女自身が強い人間になる必要があります。箱崎家の父も心配する通り、ただ広い世界が見たいと願うだけでは、その広さに打ちのめされかねません。

 とすると、アイドル箱崎星梨花の目標としては「広い世界に負けないぐらい強い芯を持つ」が妥当ではないでしょうか。実際、星梨花自身の芯の強さ、別の言い方をすれば頑固さは、幾らかのコミュでフィーチャーされています。

 

 さらに議論を進めると、では「強い芯を持つ」にはどうすれば良いのか。

 僕はこの部分に、星梨花ならではのキャラ付けとして『恋』というキーワードが関わってくるのではないか、と思うのです。

 

 一番最初のソロ曲「トキメキの音符になって」では、恋をしながら成長をする少女の姿が可愛らしく描かれました。

 しかし「きまぐれユモレスク」を踏まえた今考えると、あのとき描かれた少女は、等身大の箱崎星梨花そのものだったのではないでしょうか。

 恋と共に成長すると言うのは決してメルヘンな意味合いでなくて、この現実世界にもいくらだって事例は転がっています。何より歌詞考察で上げた「ロマン主義」は、次のような思想が中心となっています。

 

真実は必ずしも公理にさかのぼりうるとは限らず、感情や感覚・直観を通じてしか到達し得ない世界には、逃れようもない現実がある。(Wikipedia『ロマン派音楽』より)

 

 この感情を『恋』に置き換えるならば、星梨花が恋を知り、新しい世界に辿り着いたとき、そこには彼女がずっと求めていた「広い世界」が存在しているのではないか?

 勿論アイドルが恋によって成長するというのは矛盾しているというか、かなり挑戦的なキャラ設定ではあります。でも、だからこその面白さが箱崎星梨花というアイドルに秘められているのだとも僕は思います。

 それに、恋をしながら成長する女の子って、それこそめちゃくちゃロマンチックじゃないですか。

 

 以上を踏まえまして、アイドル箱崎星梨花が「きまぐれユモレスク」を歌うことの意味とは、彼女の純粋でありのままの成長なのだと結論づけたいと思います。